21.ギアナ高地

小さい頃からの夢でグランドキャニオンに行ってきた。雄大な景色が鳥瞰できるスポットにはロッジがあり、宿泊すると夕焼けと朝焼けをみることができる。1500m下を流れるコロラド河までラバに揺られて降りることができ、それも人気らしい。絵にはならなかった。ハイキングコースはハイクの時々に光るものがある。それに比べてギアナ高地、地球にあって失われた世界!人間を全く寄せ付けない2800mの絶壁上の太古の世界。こんな世界、どうせ行くことなぞ出来やしないのだから、グランドキャニオンに代えて本物を、関野吉晴氏の写真集から「ロライマ山」を描かせていただいたという次第。

34.京都伏見

 今年(平成20年)の元旦は京都で過ごす。正月三が日の京都市内は静かすぎるので、今回は京都駅から南下し、関東人にはなじみが薄いが、赤い鳥居がトンネルのように連なる伏見稲荷大社に、新年のお参りに出かけた。伏見稲荷大社は、稲荷大神の御鎮座から1300年祭の慶事を3年後に控えた稲荷神社の総大社だ。
大変な数の参拝者。昨今の不景気、商売繁盛の御利益があればと私も神頼み。
スケッチ旅行を兼ねているのが最近の私の旅行スタイルなのだが、ごったがえす伏見稲荷はとてもそんな状況ではない。どうしようかと、はてさて思い巡らす・・そうだ!名水の里伏見は日本酒の醸造所があるところ。「黄〜桜〜♪」「日本の酒・月桂冠!」があるではないか。
 伏見駅から3つめの中書島駅で下車すると、まさに正月!人もまばらで時が止まったかに思うほどゆったりしている。しばらくぶらぶらすると壕川(ほりがわ)があって、川沿いに柳が並木になっていて風情満点、向岸は明治時代に造られた月桂冠の酒造所で今でも稼働しているという。月桂冠(株)は1637年の創業だ。ここ伏見に来て、事業も文化であると実感した。


平成31年2月

 

52. ひまわり2019

2回、狭山市駅を下ったところの落合ガーデンに寄る。毎朝神棚に柏手を打つのが習慣になって1日と15日にお榊を替えるためだが、仏壇の仏花と家に飾る花も一緒に求めるようになった。妻は、大方落合さんに選んでもらっているが、僕が買ってくる花に思案しながらも生け花を楽しんでいる。だから最近は家中に花があり、我が家は大きな癒しを授かっている。このひまわりもその一つ。「ひまわり2019」として作品にした。

 

平成19年2月

平成22年8月

平成18年11月

32.啄木の故郷

夭折した詩人では石川啄木の他に中原中也が有名だが、どちらかといえば僕は啄木を好む。以前東北旅行したときに、宮沢賢治と石川啄木展をやっていた。宮沢賢治に人気があるようで、なぜだ!と思ってしまう。
ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむるふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにいくはたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る冬の夜空の星のごとき輝き、そして本源的な若さの発現。啄木の歌は貧困や自負、若さの暗い現実も昇華し、見事に言語に結晶しているので、切なくて共感。故郷渋民村と岩手山の風景のように。


39.シンビジウム

−小さいカンヴァスにどんと描く−、このような描き方は好きだ。以前は山茶花をこのように描いた。今回はシンビジウム。
30年ほど前、勤めていた会計事務所で担当していた広告会社の専務に聞いた話。
「週刊誌の電車内吊り広告は、文も写真も、用紙サイズいっぱいに描くのが効果的な広告の描き方」であるとか。以後頭にそう刷りこまれてしまい、何でも用紙いっぱいに描くべきだと思うようになってしまった。
ところが広告としてではなく、芸術的に絵を描くのであれば、どうもその手は使わないらしい。空間をとり、空間と事物との緊張関係をつくることが大事というではないか。僕の中では、まだ混乱中である。
この絵はオステオパシーという整体施術により、体をリフレッシュさせていただいているO様に、日頃のお礼として贈呈した。

41.橋を渡る

少し前京都白沙村荘という橋本関雪の旧宅が火災で焼失したというニュースがあった。吉田茂邸といい、とても残念で、何とかならないのか。
調べてみると石橋町という地名だ。荘内にも風情のある石橋があった。それがこの絵のきっかけ。せせらぎは天から地の奥までの大げさな流れに、橋桁は阿(あ)と吽(うん)の仁王様になり、橋を通るのは何か意味ありげな3人の旅人、絵の中に隠された物語。絵には寓意の一つや二つは入れたいものだ。

平成30年3月

 

50. 華の結晶

花束を描くのは最初から最後まで楽しい。出来上がった作品の花は、永遠に咲いているのだと思うとそれも嬉しい。この絵の背景は、今までほとんどやったことのない黒を基調にした。今までに無い背景のせいか、花屋さんの花のアレンジメントが良かったからか、自画自賛してしまいそうな、満足のいく出来に仕上がった。

令和元年9月

53.宇宙2

原子力発電のことを調べているときに、太陽エネルギーは1番軽い原子である水素が2番目に軽いヘリウムに核融合するときのエネルギーであると説明があったときには目から鱗だった。最もシンプルな形の核融合が人類の生存の源なのだ。火力発電では地球温暖化が加速する。フランスでは原子力発電が80%、日本では火力発電が80%の実態。原子力発電の世界的専門家の服部禎男博士は「原子力こそは安全でクリーンで人類を救うエネルギーである」という。 

平成30年4月

51. 武蔵カントリー

ゴルフも、絵も描く人は、ゴルフ場の風景が素敵だからゴルフ場の絵を描きたくなる。そうなるのはとても自然だ。ホームコースの武蔵CCでも綺麗だなと感じる風景が随所にある。ただし風景に心が打たれるとボールもたくさん打ってしまい、ゴルフは一向にうまくならない。またゴルフ場で実際見た風景以上の感動を絵に描くのは無理と観念し、いままで一度も描かなかった。しかしある日、グリーンオーバーした場所からの風景が、フェアウェイと林の陽光のコントラストがとても絵画的世界で、到頭描いてしまった。 

 

48.星空
50年前自宅前の店先で、夜空に輝くオリオン座を夜毎見ていた。今は星を見る時間がない上に、家が建ち並んで明るくなり、もう見ることがかなわない。事が夢だから切実に思わないだけで、実際は「毎夜星が見られたら、どんなに幸せだろう」とセンチな男も意外と多いのではないだろうか。何せ無数に光る星の一個ずつが一つの太陽系だから、その広さたるや想像を超える快感だ。
若い頃常念岳に登ったことがあって、その頂上で見た北アルプスと満天の星の美しさといったら、それは見事な自然の創造物だった。沖縄でもハワイ島でも星空を見たが、常念岳からの光景に比べたら見劣りする。自然の偉大さの前では何と人間のちっぽけなことか、星空は教えてくれる。

令和元年9月

54.からす(『冬の旅』15番)

15番「からす」は不気味に飛んでいるカラスをピアノが表現し、歌との組み合わせも素晴らしく、僕の大好きな曲だ。歌は「付きまとって来るな。そんなに誠実なら墓場まで必ず来い」という壮絶な内容だ。この曲も他の曲と同様に『冬の旅』のCDでは定番のハンス・ホッタ―(バリトン)、ジェラルド・ムーア(ピアノ)版をお手本にしている。この本の『冬の旅』4作は、1作ごとに特徴的なオマージュを埋め込んでみた。「からす」は、カラスがメロディー、絵はゴッホ、楽器はオーボエ、色調は黄。

中国北部の原産で、平安朝のころ中国より渡来し、薬用または切花用として畑で栽培し、また観賞用に庭園で栽培されるボタン科の多年草。西洋では古代ギリシアから中世にかけて、シャクヤクは最大能を持薬草として尊ばれた。〈立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿は百合の花〉と美人の形容に使われるのは、横枝のでるボタンに対し、茎がすらりと伸びるシャクヤの草姿を示しものである。

芍薬(しゃくやく)

平成17年1月

平成16年8月

ルソーという私の好きな画家は、行ったこともないのにジャングルの絵を描いて有名な画家になった。城ノ越園芸で買ってきた、色彩の鮮やかさからおそらくは南洋植物に、ジャングルを想う。そういえばルソーのジャングルの絵には猿やライオンがいたけれど、動物を入れるなら、猿やライオンは危害を加えそうだからできれば鳥か虫程度がいい。
あの蒸し返す暑さ(行ったことはないけれど、多分)といったら、行って生活して描いた絵と、物は実際でも植物園のとは熱さが違う。本当は、猿とか鳥なんかではなく、ゴーギャンのように人を入れて絵を描きたいのだ。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこに行くのか。」などと、絵に書き込めるくらいの気概を持って、常に熱くありたい。

南洋植物

ミハス(スペイン)

スペイン南部、地中海に面したコスタ・デル・ソル(太陽海岸)に近いミハスという町は、丘陵地に白い壁の家々が町並みをつくっている。温暖で爽やかな気候の中、人々は教会に行ったり、野菜を買ったり、家の白い壁を塗ったり花木の手入れをしたりして1日を過ごす。
ツアー旅行中、ミハスで1時間くらい自由時間があって、早速スケッチしてみる。白い家を描くのは予想外に難しく花木や手すりを入れて描く。ギリシャ、イタリア、南仏、そしてスペインでも、白い町の中に入ると、時計とか文字とかはいったい何なんだと思うようになる。その心地よさとぎこちなさ、そういうときはのんびりと腰掛けて、筆を持って過ごすのが一番だ。

平成17年2月

子供の頃建築家を夢見たことがあったが、どうも高いところを平気で歩けないと務まりそうもなさそうなのであきらめた。
落ちそうな場所は嫌いだ。つつじ野にはテラスハウスがあって、戸建てと集合住宅の合体で、そののどかな雰囲気が好きだ。
手を伸ばせば2階も届きそうではないか。長屋形式だけでも人のぬくもりを感じるが、特につつじ野は道路が落ち着いていて、また緑も多く素敵な街並みだ。建物と木々と空と道路が何とやさしく調和していることか。韓国語教室があるので毎週見ている中でこの場所の好きな時期は、レンギョウが咲き桜の花が吹雪く春の一瞬、そして晴天の空、透明な空気に木々が黄金色に輝く秋のひとときだ。

つつじ野

平成17年3月

平成17年2月

平成17年8月

平成17年11月

平成17年12月

平成18年1月

平成18年2月

平成18年4月

平成18年6月

平成18年7月

平成18年8月

平成18年9月

平成18年10月

23.仁右衛門島から

 千葉県の勝浦の近く、太平洋向きに仁右衛門島という面積3万uの小島がある。何百年も昔から平野仁右衛門という人だけが住んでいる。陸地から近いのだけれど橋がかかっていないので、渡り船で行く。その乗車賃と島散策代が1500円くらい。島からは岩礁がきれいで、その先は太平洋だ。里芋はそこでは栽培していない。ある偶然から自分が加えた。
 埼玉県には島がないから、島への憧れが強い。日本は6852も島があるそうだ。そのうち無人島は4000もある。老後をどう過ごすか考える歳になってしまった。外国生活したり、田舎生活したりと、少し先輩方は考えているようで、やりたいようにするのが良いと思う。南の島はどうかな。あるいは日本にそんなに無人島があるのならば、中には仁右衛門島のようになれる島もあるかもしれない。そのときは狭山名産のお茶、ごぼう、そして里芋を植えることにしよう。

平成19年4月

平成19年5月

平成19年6月

平成19年7月

平成19年9月

27.旧李承晩別邸


独立後の韓国初の大統領は李承晩18751965)という人で、在任中に済州島に別邸を造った。現在ハネムーンハウスという名でレストランとして利用されている。李承晩は50年ほど前の人で、蒋介石、毛沢東といった戦乱時代の大物の一人だ。戦後、一方的な李承晩ラインの設定で日本人には印象が悪いが、この別邸はまったく権威主義的でなく、地中海に面した別荘のような良さがあり、感心した。調べてみると李承晩の奥さんがオーストリア人であり、またハワイなど米国で暮らす期間が長かったらしい。
北朝鮮や中国の、歴史的に米国を手玉に取る政治的手腕はたいしたものだ、というか日本があまりにその方面の政治力に欠けるのが苛立たしい。愚直に走って日本は散々にやられてしまった。日本の首相も国際結婚とか欧米風の別荘を持って、手練手管使って欲しいと思うのだ。

平成19年10月

平成19年11月

平成20年1月

平成20年4月

平成20年6月

平成20年7月

平成20年8月

平成20年10月

平成21年1月

平成21年6月

平成21年9月

平成22年6月

平成22年8月

平成22年7月

平成22年4月

平成24年9月

平成16年11月

平成17年9月

夏の思い出

ひまわり3作目。ゴッホは6点のひまわりを残した。油絵を始めて
5点目で1作目、1年後2作目を何とか描き、2年後に3枚目を描
きはじめたが失敗した。まとまらないので置いておく。そしてまた
次の夏が来て、これを仕上げなくては毎年1枚の予定のひまわりも
2枚で計画倒れになるから、何とかしたいとじっと絵を見ていると
人が見えてきた。韓国ドラマ「美しき日々」のキムヨンスとカンナ
レのようだ。ひまわりは花であると同時に時間を強く感じる花だ。

平成17年9月

24.カフェ モミュス

 オペラが総合芸術といわれるのは、音楽であり、演劇であり、映画であり、文学であり、舞踊でもあるからだ。全部一度に楽しめるので割安(?)でもある。「カフェ モミュス」はプッチーニ作曲オペラ「ラ・ボエーム」第二幕の舞台となるカフェ。パトロンを引き連れやって来たムゼッタは、そこにけんか別れした画家マルチェルロらがいることに気づく。マルチェルロが無視すると、ムゼッタは有名なアリア「私が街を歩くと」(皆、私に夢中になるのよ・・・)と歌いマルチェルロを誘う・・・。
「ラ・ボエーム」は貧しい6人の普通の人の友情物語であることがまた良い。お針子ミミ、詩人ルドルフォ、哲学者コルリーネに音楽家のショナール、そしてマルチェルロとムゼッタ。人生、気心の知れた何人かの友人に恵まれたら、生きるにせよ死ぬにせよ意味があるんだという根幹の真実を、幾多の書物にも増して甘美に奏でる。

46.コーヒーブレイク

最近は、美味しいコーヒーならときどき飲むようになった。僕の実家は菓子屋だから、子供の頃は店にあるネスカフェを飽きるほど飲んだ。コーヒーだけでなく、ココア、コーラ、アイス、サイダー、かき氷、牛乳も何でも飲み放題。あまりに飲み過ぎたので大人になったら飲まなくなる。代わりに酒を飲むようになる?!

45.皇帝ダリア

隣家の服部さんのお宅の前は畑になっていて、11月頃になると天高く皇帝ダリアが見事に咲く。優雅とか威厳とかの花言葉のとおりに、4mほどの高さになって四方を抜きんでる。僕の家にも皇帝ダリアの苗木を植えたことがあって、それは高く太くなったが、風でぽっきり折れてしまった。それ以来服部さんの皇帝ダリアを眺めては楽しんでいる。この絵は、ゴッホの家族が愛した「花咲くアーモンドの枝」を意識して
描いた。

平成23年10月

平成22年11月

38.待ち合わせ

人物画は好んで描く。絵画教室でモデルさんを使って絵を描く日(2時間)があった。若くてとびきりの美人だったので夢中でスケッチしたが、2時間では全然足りずその5倍の時間は欲しかった。人物を実際に見て描く貴重な体験だった。
ポーズをとっているモデルさんの写真を撮らせてもらうのは御法度とのこと。そういうものかと得心したものの、普段の僕は写真を見ながらになってしまうので残念だ。写真を元に絵を描くのだって楽しい。今のところ人間の表情に対する僕の美意識が正直に表せるから楽しいのだと思う。表情は心を表すから、僕との関係において何の曇りもなく、気分の良い姿を気ままに創造することができるのだから。
ところが描くのは楽しい人物画はなかなか買い手がつかない。「待ち合わせ」も6月の「ちりぢり展」で残ってしまった。自画自賛の人物画。

37.玄関に秋

九州天草に行ったとき、島原藩の武家屋敷の敷地の、さほど広くはないが塀に囲まれた中庭の、こざっぱりとした風景に心惹かれた。簡素なたたずまいに憧れるのは日本人の血筋か。よく時代劇映画に出てくるような、秋の黄昏時の赤く染まった中庭は、和の心の象徴的な情感が表れていてやるせない。江戸時代も、明治大正時代も、戦前も、少なくともその生活態度において、今よりまじめであったと思う。科学が発展し生活が便利になって寿命が伸び、生きていくのに何の心配もなくなると、どうも人は逆に慢心するようだ。戦前以前の歴史を悪とするわかってない人も少なくない。歴史を暖かく見る度量が現代人には必要ではないだろうか。
僕の家は門から玄関までが、少しばかりのエントランス風の通路になっている。
秋になり右側の沙羅の木が赤く色づくと、ふっと時の流れは変わらないなと感じる。今年(2008年)の秋もまた、葉が赤く染まり、ひらひらと舞った。

済州(チェジュ)

済州島(さいしゅうとう)は韓国語ではチェジュドと発音する。韓国の南、九州の西にあって、現在はリゾート地として開発され人気が高い。
1950年代朝鮮戦争当時、韓国人画家イジュンソプは済州島西帰浦市の海辺に疎開した。
たばこの銀紙に傷をつけ絵を描くほどに何もなかった生活の中で、日本人妻と子を想い、済州島の自然が慰めになったのだろう。
今その地に記念館とその住まいが保存されている。島の風、浜辺の蟹、そして画家の暮らした家。

青いバッグの女性

若くて爽やかな女性は描いていて楽しい。
リゾートの雰囲気でのワンショットは油絵の重厚なタッチに合わないせいか、あまり手間がかからずにひとまず投了する。
油絵っぽくない絵は精魂込めて描いた気合いが薄くて2,3段低くみてしまう。
マチスの絵よりゴッホ展のついでに見てきた関根正二の「三星」のほうが傑作だと思う。
しかし疲れたときに見るには軽いほうが良いか。私の部屋に飾る女性の3代目となった。

ナスタチウム

ナスタチウム(きんれんか)はハーブ。花や葉がサラダなどにして食べられるらしい。
1年草ということになっているけれども手入れの仕方によっては年を越しても大丈夫らしい。これは家の近くの城ノ越園芸にあった大きな鉢植えに
なっていたものを描いたもの。晴れた日の温室内のような明るい光が充ちている広い店舗の真ん中奥に、王者のごとく威風堂々鎮座し、生命力と慈愛を放っていた。
これは何だ!?売り物か、値札がない。タッグにはナスタチウムとある。売り物であっても大きすぎて置けるものではない、絵なら大丈夫、事務所玄関に飾っている。

チェ ジウ

冬ソナの魅力的なシーンを5枚画きたいと予定を立てたのはもう1年以上前のこと。例えば@春川の基地の通り、Aユジンが初恋を母に話す場面、Bナミソムの秋の風景、C最初のシーンの春川の路地、Dユジンのポートレート2、3枚。ところがまったく歯が立たないのだ。冬ソナはおそらく映像として完璧だからなのだと思うことにした。今回はユジンではなくチェジウで済州島のロケでの1場面で、えくぼも入れてもう少しニコッとさせたいのだが難しい。次はユジンをと、Aを描きたくてアイドリング状態が続いている。

武家屋敷の銀杏の木

武家屋敷を観光していたらイチョウの木が1本あって、黄金色に輝いていて美しく、武家屋敷の漆喰塀に映えていた。旅行中に僕にはまだ腰を下ろしてスケッチする時間を持てないので、心を惹かれた風景はその構図でさっと写真をとることにしている。描きたいと強く感じた構図の写真は後日とても良い絵になる。この方法は今のところ予想が外れないので少し自信を持っている。この絵もそうで、しかも最後まで苦労しないで構図どおりにいった。

カタルーニャは今はスペインだが以前は独立国だったということだ。言葉もカタルーニャ語を話したりで郷土意識が強い。中心地バルセロナにミロ美術館がある。
先日『美の巨人たち』でミロを見て、ミロの抽象画もカタルーニャの具象であることがわかった。ここは車で1時間強でダリ美術館もある。彼らはカタルーニャ人としての誇りを大事にしている。ここは草木、空、家、石、すべてがやはりスペイン、いやカタルーニャだ。

カタルーニャ地方

ピアノの前のMM

マリリンモンローに楽器を持たせるならギターかウクレレあたりだろうが、一人ピアノの前に座ることも(あったと思う)。コケティッシュなモンローは映画でたくさん見られるし大好きだが、ときどき見せる清楚でメランコリックな姿は、どんなときでもセクシーなだけに、反って強く心を打ち本当に魅力的だ。あれだけの人生を送った人だ。人の情の深淵をわかっているに違いない。人物画の本質など僕にはわかりはしないのだが、人物はいつも魅力的な絵を描いて楽しみたい。

33.熊野古道

 熊野古道を行く前日、勝浦温泉の夕食後に熊野古道のオリエンテーリングが始まった。講師は山伏姿だ。これは畏まらなくてはいけない。まぐろのかぶと焼きに舌鼓を打っているどころではなかった。
「明日は台風の心配はないが、日本でも有数の降雨地域で、しかも山の中である。傘は不可、ハイヒールなどもってのほか、ましては神様のいらっしゃるところ」と脅される。
「熊野詣で」は11世紀の浄土信仰によって、長く険しい熊野への道をのり越えることで、悟りが開け救われると信じられるようになったため、法皇から庶民まであまねく広まり、善男善女が詣でることとなった。
 なるほど凄いところであった。川の丸木橋は流されていて、腰くらいまで水につからないと渡れない。しかもそのようなところを、まだ3カ所も越えるという。
とても無理。ここから先の深く深い山々は、神々が住む聖地だ。僕には越えられなかったけれど、すっかり洗われた。


平成18年12月

平成22年7月

平成22年11月

ベギン会修道院

ブルージュにある。ベギン会修道院は女性修道院で『尼僧物語』のロケ地としても有名。修道院は静かであり清潔で心が洗われる。水仙は薬用か、一面に可憐に花開いて世俗とは別世界だった。きれいな気持ちになって清潔に多少シュールに描いた。僕は自分の体がそうであるように、自然科学的な摂理ほどには宗教的な摂理は信じていない。嘘を信じる程度が人間として身分相応だ。だから今の宗教人にはもっと謙虚であってほしい、修道院のように。

リーガルベゴニア

パレートの法則というのがある。物事は2:8に分かれるという。売上の8割は2割の顧客であるとか、税金の8割は2割の納税者が支払っているとか、経済法則の一つだ。世の中不幸が8割、幸福が2割とも考えられる。大事なものは僅かしかないということだ。9年目に買った車の納車日に、ある事で裏切られ喜びを帳消しにされた、何日もしないのに予定外の場所で駐車違反をとられた。8割は不幸であれば、しょうがないか。リーガルベゴニア2点。花の絵を部屋に飾って、ふっと寂しくなったときなど、その絵をながめて、ああ、もう少しやってみるかと、心が少し動いてくれるなら、そういう絵こそ僕の望む絵だ。

南仏ロクブリュヌ村    

映画「めぐり逢い」の祖母の住むところは、南仏ロクブリュヌのような村を上ったところだろう。チャペルもある別荘、孫の恋人役デボラカーはここを思わず「パーフェクト」と感嘆する。全く!夢の世界をさりげなく作る品の良さが好きだ。地中海と空との懐にある丘陵地に海まで伸びる鷲の巣村はライトレッドの煉瓦造り。ギリシャの島々のほうは白い漆喰と地中海のコントラストが見事だ。煉瓦造りは人のぬくもりが感じられる。
燦々と降り注ぐ太陽、エメラルドブルーの地中海、糸杉とオリーブの木々が添えられれば、プロヴァンスのメニューはパーフェクトだ。

憧れ    

 冬のソナタを全話見通せたのはひとえにユジン役のチェジウが可憐だったからだ。泣くシーンに限らず、表情が豊かで自然であることに感嘆する。
物語の始めの高校時代のユジンは、本人の性格と合っているらしく、成人になってからとは違う快活な性格も良く出ていてとても魅力的だ。例えばナミソムのデート、教室で立たされる時、桟橋での告別、そしてこの絵、母に初恋を話す場面。
最近の役はどうもまだまだ、今のところチェジウはユジンだ。37年前に「パンとあこがれ」というテレビ小説があって、ヒロイン新宿中村屋の相馬良(黒光)を演じた宇都宮雅代もそうだった。女学校時代の演技の初々しさに生まれて初めて(多分最後の)ファンレターを出したことがあった。
あれもヒロインに憧れたのだな。ユジン宛に出せないのが残念。

17.花咲く季節

年ほど前だったか、山梨県武川町にある樹齢2千年の最古木「山高神代桜」を見に行く。尺の大玉花火のように豪快に咲き開いているだろうと想いめぐらしていたら、全く予想に反して化石のように生気がなく痛々しい老木だった。これも桜かと、桜の木の不可思議さにあわれを感じた。このような樹はそっとしておくものだろう。日本の桜名所100選とかに掲載されている感動的な場所というのは写真なのだから嘘のはずはないのだが、そのような空間は本当にあるのか、写真も一つのクリエイトなのか。
さて神代桜は見るに忍びないので近くの大きな枝垂れ桜のある寺に行く。・・・と、
境内の通り道の椿の赤と水仙の黄色が鮮やかだ。絵にしたい、絵になる風景は、小径の先にあるだろう桜のある風景を望んでもなかなか難しく、水仙と椿というどこの寺にもある、そしてどこの寺でも手入れがされているようないないような、小径にさりげなく咲く花木への優しさと信仰心があるところだ。

18.母と子

子を持てた人は幸せだ。世の中欲しいのに授かれない人は多い。
子を持っている人も私ぐらいの歳になると今度は孫の心配をした
りする。子供とか結婚とかも含めて、多くの人が理想の生き方と
は少し違う現実の人生を、自らの人生として受入れひたむきに生
きている。良いめぐり逢いを願うばかりだ。ところが最近親子間
で暴力したり殺したりのニュースが日々報道され、一部ではある
が人の
りも極まれりだ。

私は以前読んだ本を思い出してはいわば特効薬としている。それ
歳から5,歳頃の120%可愛い時に、子から至上の幸福
感を味わったのだからもうそれで十分ではないかということ。生
意気な年頃になってもあの頃のことを想えば気持ちが落ち着くと
いうもの。男親と女親はまた違うかも知れないけれど。

これはそういう時代の一こま。

19.ポトマック河畔

 ボストン、ニューヨーク、ワシントンをめぐるツアーに参加した。
ボストン方面には、なるほどホッパーが描いた荒涼たる世界があるが、
余りに寂しい。ニューヨークで人種のるつぼを描きたいが時間が(腕
も)許さない。アメリカは僕にとって絵になるところが見つからない
国だ。ところがワシントンでは強烈なショックを受け、ポトマック河
畔を絵にすることとした。
 アメリカは首都ワシントンがいわば神殿となっている。そこにある
リンカーン像は人気、ケネディの眠るアーリントン墓地もある。2人
とも都合が悪くなって暗殺された。スミソニアン博物館には月の石の
破片がある。本当にあれは月の石か?ペンタゴンにも突っ込んだ9.11
テロ。事件発覚後何十分も経ってから軍の総司令部に民間機が果たし
て突っ込めるのだろうか。
 彼らは歴史がないから、民主主義を神格化した。最近のアメリカは、
権力者もその国民も民主主義を奉り国益のためなら何でも有りの恐ろ
しい、可哀想な国家になってしまったようだ。歴史の重みを理解して
欲しいし、自浄作用に期待したい。ポトマック河畔は人工的で、静謐
で、政治を神とするリヴァイアサンが住む。

20.シエスタ

地中海に面した地方や中南米のラテン系の地方には、昼休みが3時間くらいあって、その時間になると仕事場や学校から家に一旦帰り、昼食や昼寝をしたりして休みをとる習慣があるようだ。シエスタというものだ。そのような時間割がどんな生活になるのか、毎日930分から830分まで働き昼食は30分間の身としては実感のしようもないのだが、羨ましい。日本ではシエスタを実生活に組み込むのは無理だろうから、せめて精神面で「ただ今シエスタ中」を味わいたいものだ。
ここスペインでは昼下がり、今までここで笑顔をみせていた爺さんは多分どこかでシエスタ、土産物屋の店員もシエスタでクローズド、犬はここでシエスタだ。VIVA SIESTA!!

22.カサブランカ

映画『カサブランカ』は、先の大戦下、ヨーロッパの亡命ルート(マルセーユ→カサブランカ→リスボン→アメリカ)の中継都市であったカサブランカを舞台にしたハリウッド作品だ。1943年に製作されている。リックとルノー(ラズロも入れて良い。
ただしルノーとラズロの順序は譲れない?)は男の生き方の理想で、魅力たっぷりに描いている。脇役がまた人間味があって良い。このような映画が戦争中に作られるのだから、人生の味わい方において日本などかなうわけがない。カサブランカの街名の由来は、白い家の町並みだったのでスペイン人が占領したときカーサ(家)ブランカ(白)と名付けた。

花のカサブランカは日本の山ユリがアメリカに渡り、その後オランダで白い花から都市カサブランカの名称からカサブランカと名付けたらしい。オランダでは花名を地名からとることが多かったそうだ。カサブランカは日本産にして世界を駆けたロマンチックな花だった。

25.母と子 U

スポーツで開花した選手は子供の頃父の情熱で支えられ、文化人として名を馳せた人は母の愛に支えられて育ったような気がする。親の愛情に包まれることで、好きなことに打ち込める環境ができた結果だろう。中でも特に母の愛は古今東西の文化の主要な題材でもある。
 休日に植物園を訪ねれば、どんな親子も開放感に包まれる。巣の中でくちばしを動かすひなのように、子どもが無警戒に甘えられるのはそれが子の心にそもそも備わっているからだ。母がそれを自然に受け入れられるのも、生まれ持っているからだろう。

母の愛、今の日本はそれを必要としないほど生きるのが楽になったのか、鈍感になったのか、見かける機会が少なくなった。母が怒って父がなだめるのでは、逸材は育ちそうにない。やはり母は何でも話を聞いてくれ、包み込んでくれるのが良い。

26.シンビジューム、ひまわりのある花瓶、ガーベラ

「自分で買うにはもったいない、でもあるとうれしい。」というものが贈り物には最適だ。もう随分前になるけれど、家内の誕生日祝品に窮して仕事帰りの寒い誕生日に新所沢の駅近くにある花屋が暖かい雰囲気で引き寄せられて入ったら、「需要のピーク時は高いのだが今日は丁度お買い得がありませよ。」との口上にその気になって、大枚出して胡蝶蘭のみごとなやつをプレゼントしたことがあった。高価だったが効果も抜群だった。『贈り物の法則』に合致したわけだ。
このシンビジュームはマリリンモンローというか。新宿1丁目新宿通りにある花忠さんからいただいた。さすが老舗から届いたのは豪華で、包装紙ごと絵に描いた。花忠さん、ありがとうございます。
ひまわりのある花束、ガーベラは贈り物にも人気だが、これは自前。この花ならコーヒー1杯分で楽しめる。ガーベラは福生で買ったものだ。ガソリン代より安い。
花のある生活は絵のある生活のように人生を潤わす。自分で買っても、贈られても。

28.夏の追憶

遊び回った小学校時代の頃を話せば、結局自慢話の類になってしまうのが恥ずかしい。遊び場所はいくらでもあったし、勉強や上品なスポーツに縁はないのに当時が誇らしく、今の子供たちの環境はそうでないのが不幸と思う。土門拳記念館で見た「下町の子供たち」や「筑豊のこどもたち」の世界がまさしくその世界。「弁当をもってこない子」など、弁当の時間に弁当をひろげないで本をひろげている姿に「そう、それで行け!」と喝采を贈るのだ。
夏休み。時代は変わり一緒なのは近所の子でなく家族となっても、子供には海や山や野原で遊んで欲しいと思う。大川(入間川)で泳いだり、赤間川で魚取りしたり、空き地で追いかけっこしたり、澱粉工場や公会堂の空き地で野球したり、線路向こうでカブトムシを採ったり、庭でビー玉やベー駒に興じるのは、僕の世代の夏の追憶だとしても・・・

29.智光山のバラ園

昔、人里離れた山中に智光山という所があり、そこにはクレー射撃場があって限られた大人だけが行く怖い場所だと思っていた。今は智光山公園として整備され、自然公園となっている。子供動物園や体育施設もあるので、家族でのんびりと過ごすことができる場所だ。といっても僕自身は近くに住んでいながらめったに行かない。以前川越の歯医者さんが、お孫さんを連れてここによくいらっしゃるという話をお聞きして、地元民として大いに反省したことがある。
智光山公園で時期になったら通いたい場所は、子供動物園とバラ園だ。70歳くらいになって子供(?)のようになったら、動物園へ動物のスケッチに行ってみようと思っている。
映画「野ばら」は、シューベルトの「野ばら」をテーマに映画化したウィーン少年合唱団の話だが、野ばらではなくむしろエーデルワイスがキーの花というのが可笑しい作品だ。校長が用務員さんの感じでバラ園の手入れしているシーンが楽しい。バラ園は手入れする人がいて、愛でる人がいるのが様になる。智光山のバラ園は華麗な上、バラはハーブだからか行くだけで元気が出てくるので好きだ。

30.飯田橋駅

飯田橋は交通の便が良いので(JRと地下鉄4線ある。)、酒井事務所の東京事務所を6年間置いた。その前は築地に10年間置いたのだが、この平成20年から東京事務所を狭山事務所に統合した。会計の仕事を約40年やってきて、目配りと気配りを考え1カ所に戻した。この仕事に使命感とかプライドは持ち合わせなかったが、飽きもしないのは多分、他の諸事に比べ自分に合っているからだろうし、この仕事を通じて多少は社会に役に立っているのだろうと思っているので、これからも状況に合わせ良い仕事をしていきたい。
ある日の黄昏時、飯田橋駅へ向かう陸橋から見渡すと、駅やその周辺の雑踏が都会の息吹を醸し出しているさまが魅力的で心に響いた。さっそく松本峻介の絵を明るくしたような絵をと意気込んだが難しい。飯田橋は後楽園や神楽坂にも徒歩で行ける上、再開発中の地区があり、完成したら六本木みたいになるらしい。飯田橋事務所は閉鎖するけれども、絵の再チャレンジもしたいし、何より遊びに行きたいものだ。

31.机上の冒険

中学の美術の授業で、本の表紙の装丁画を描く時間があった。全員大して本を読んでいなかったから、出来映えは月並みなものばかりだったろう。それでも描く目的が具体的で大人びていたから、各自それなりに真剣だった。
現在、新聞社で見出しの字のデザインの仕事をしているT君は、当時『太平洋ひとりぼっち』の映画が封切りされたこともあってか、それをタイトルとして本の表紙の装丁画に、大海原の中、ボートを操る青年を描いた。物語性と動きがあってうまいなと感心した。僕はといえば、気恥ずかしいのだが、『海賊船』というタイトルだ。『海賊船』なら中学生が表紙に何を描いたか、言わずもが
なである。
45年たってもさほど変わらないか、この『机上の冒険』。静物なら静物画、それらしく描くのが流儀なれど、上手に描けないいたずら心。広いテーブルは波立つ大海原、クロスは何と古地図じゃないか。開かれた本はどうもラテン語のよう。本に乗る玉は解明の鍵か、道しるべか?食器は船に、食料と多少の黄金も。さあ、準備はできた、未知の大陸へ出発だ!と気持ちは前向き夢見る少年の中年の僕、机上のひととき。

35.シェラトン ワイキキ

ハワイ諸島はリゾート気分いっぱいの夢のような島々だ。地球の3分の1を占める太平洋。そのど真ん中にあるというのも神秘さを増す。特にオアフ島は新婚旅行先として人気で、30年以上も前に訪れた僕のときは、12組のうち、僕たちをはじめ11組は新婚さん!ワイキキシェラトンホテルはあれから3回泊まった。25歳から今まで、ゲストの僕はずいぶん歳を重ね変わったけれど、いつ泊まってもこのホテルは変わらない。ロビーの大きな貝殻のシャンデリア、ジャングルのような緑の壁面、トロピカルフルーツやマイタイの味。もちろんワイキキビーチも・・・
昔は海が望める部屋は高くて手が届かない高嶺の花だったが、3回目に泊まった姪の結婚式の時には海側だ。日本人も豊かになったものだと実感する。バルコニーから外を見渡せばこの風景!庭のテーブルは、おそらく夜には野外レストランとして賑わうのだろうけれど、日中はこのとおり静かでのんびりしていて、それはそれで気分が良い。
もちろんハワイに住む人たちもストレスとかあるのだろうけれど、のんびりと生き、のんびりと死ねる極楽の島のように見えてしまう。僕にはいつになっても憧れの島だ。

36.キューケンホフ公園

○ オランダ、ベルギー、そしてパリに寄って帰るツアーは楽しかった。ツアー旅行の参加者は知らない人の集まりなのだから、話好きの人でないと食事時は居心地が悪い。男性は話し好きでないと任じていて、少しは話しなさいと茶々を入れられるのが関の山、でもこのときは違った。女性7名、男性3名と少人数だったこと、萌ちゃんという小1の女の子がいて皆のマスコットだったことが大きい。ツアー旅行きり行けないから頼らざるを得ないけれど、なるべく自由行動のできるツアーを選ぶことにしている。
○ この旅行ではオランダでは風車見学に参加しないで、タクシーを飛ばしてクレラーミューラー美術館に行く。パリでは現地の案内でジベルニーとオーヴェールに行く。そしてオランダ、ベルギー、パリでゴッホとフェルメールを見切るといった明確な目的があり、それを個人的に通したことも充実していた理由だ。
○ キューケンホフ公園はチューリップの国オランダの世界最大の花の公園。ツアーの良さは、苦労なくこのような夢の世界に連れて行ってくれることだ。その萌ちゃんも今は中学生でしょう。

40.年月を計る

時を計るのが時計、年月を計るのは歴史。この右側の絵は、文字盤が時計回りに19500928とある。僕の誕生日。入間川と真綿と産声をそれとなく描いたつもりだ。左側の絵はその日まで元気でいるつもりの日、20390928とある。2039年はケネディ大統領暗殺の真実が公表される年、89歳のその年までは生きたいね。去年父を亡くし、今年は僕も還暦で、生死につて合点しながら生きたくなった。「人生は戯曲に似ている。長さよりも質が問題だ」とか、「早く死ぬと本人が不幸、長生きすると周りが不幸」とか先人はいうが、元気1番、長生き2番でいきたい。
それにしても映画「おくりびと」はいい。世界中で賞賛されていることに、人の生と死への日本人的関わり方が、世界の人々と共有できるのだとびっくりした。日本人は誇りに思っていいし、このように「生きる」ことがいいとも思えるのだ。

42.妙義山、浅間山

平成225月の連休に、妙義山−浅間山−八ヶ岳のルートで2泊三日のスケッチ旅行をした。スケッチ旅行も初めての経験だが、遊びの一人旅も初めてだ。ただし仕事の本の原稿を夕方から夜に書くことも予定して、実のある休暇を過ごすつもりで張り切った。その感想は、一人で旅行するとは独身生活と同じだと思った。寂しさがある。
妙義山麓美術館まで行き、近くの道沿いに車を止めて妙義山を描く。パステルでは汚れるので、顔彩にした。
1時間。美術館にはあまり絵はなく、聞くとふるさと美術館があるという。すわ、間違えたかと、山を登っていくとあった駐車場が。1時間。美術館には妙義山コンクールの大賞がずらり展示されていた。
浅間山。初日は軽井沢から、2日目は鬼押し出し近くでスケッチ。この絵はそこから。天気良く、場所良く、申し分なかった。三日目八ヶ岳はまだ出来ていない。

43.墨堤夜桜

浅草言問橋から白髭橋辺り、隅田川に添う墨堤通りは、桜の季節になると風情たっぷりだ。特に夜は屋形船や露店のぼんぼりがにぎやかで、しかしうるさくなくほのぼのとしていて、いわば江戸情緒が味わえる。
僕の母の生まれが葛飾立石、会計士の叔父がひいきにしていた向島の小料理屋「濱」は墨堤から歩いて数分のところ。

ちょっと頑固だが粋な下町の雰囲気を懐かしく感じ始めたのは、還暦を迎えたからというよりも、僕の来歴が半分江戸っ子だったせいだと最近気が付いた。

44.シンビジウム(1)(2)

絵の発表会に花をお祝いにいただく。とても有り難い。豪華な花もしばらくすると散るけれど、感謝の気持ちは留めたく、絵を描く。その気持ちを絵で表現するには、どのような構成で、どのように描くかを模索していくわけだ。楽しい時間だ。

シンビジウム(1)は花の滝のような豪華さをストレートに扱った。
(2)の方は、高貴にして親しみ(古キャンを使用しているので)と優しさが周りと調和している様を描いた。

47.昇仙峡

妻の両親は僕には最良の父母だった。常に愛情を持って接してくれたと思うし、僕も少々控えめになってしまうが、親孝行の気持ちをいつも持っていた。しかし義父は5年前に、義母は今年(平成22年)亡くなった。昇仙峡は義父母と出かけた場所として思い出深い。結構あっちこっちご一緒したが、何故か秋真っ盛りの昇仙峡は、義父母を思い出し切なくなるのだ。

平成23年11月

49.戦渦を逃れて

日本では戦渦を逃れて故国から離れなければならない状況は想像し難い。戦争を含めた外交など今までは地政学的にする必要もなかった国だから、国の存続を賭け必死だったほとんどの国からみれば別天地だろう。しかしこれからはそうもいくまい。映画『野ばら』で孤児トニーがドナウ河を下る冒頭シーンのように、守りきる姿勢、凜とした態度で生き抜く希望を持つ覚悟だけはしておきたい。